✅【第2部】現代編 いもたき、一人で味わう贅沢 ― 現代の鍋スタイルと私の食卓

郷土の味と記憶


冒頭キャッチ・リード文:

【第50記事:郷土の味を辿る《後編》】
郷土料理は、誰かのために作るもの──そう思っていた。
けれど、現代の暮らしの中で「一人の時間に寄り添ういもたき」もまた、郷土料理のかたちではないか?
本稿では、新たなスタイルと視点から、“ひとり鍋”の魅力と可能性を考えます。


「いもたき」は誰のもの?

「郷土料理」と聞くと、
親戚が集まる席、大家族の夕餉、地域の催し──
どこか“みんなで食べるもの”というイメージがある。

けれど最近、私はひとりでいもたきを作ることが増えた。

食材は、冷凍の里芋と鶏肉。
カット野菜でもいい。だしパックも使う。

それでも、火にかけて、湯気が立ち上がり、
香りが部屋を満たしていくと、不思議と満たされるのだ。


現代の“火”と“水”と人の距離

昔はいもたきを川辺で囲んだ。
今はキッチンで一人、IHの鍋の前に立つ。

どちらも“火”と“水”があって、
そこに“人の手”が加わることで、
ただの素材が、料理になる。

そう考えると、場所が変わっても、規模が変わっても、
本質はなにも変わっていないのかもしれない。


一人鍋がもたらす「記憶との対話」

いもたきを作っていると、自然と“誰か”を思い出す。

母が芋の皮をむいていた後ろ姿。
祖母が出汁を味見していた湯気越しの横顔。
それを囲んでいた昔の笑い声。

一人で鍋をつつくその時間が、
“誰かと食べる”という行為を懐かしく思い出させてくれる。

そして、そこに今の私自身の生活が、静かに溶け込んでいく。


ミニマルでも豊かな「私だけのいもたき」

最近のお気に入りは、小鍋一つで作る“ひとりいもたき”。

具材は少なくていい。
洗い物も少ないし、冷蔵庫にあるもので十分だ。

  • だし汁に鶏肉と里芋を入れて火を通す
  • 残り物の油揚げやこんにゃくを加える
  • 調味料は、しょうゆとみりんと少しの砂糖
  • 仕上げに青ねぎを散らして、できあがり

味は素朴。けれど、心に染みる。


これもまた、郷土料理のかたち

郷土料理は“人の手”と“人の記憶”によって継がれるもの。

誰かと囲んでもいいし、
一人で味わってもいい。

大切なのは、そこに「誰かのために火を入れようとした気持ち」があること。

それがあれば、
どこで、誰が、どんな形で食べたって、
それは立派な郷土料理なのだ。


おわりに

かつての川辺のいもたきと、
今の一人鍋が、私の中で静かにつながる。

味はちがっても、気持ちは続いている。
そして今日も、湯気の向こうに、誰かの記憶がぼんやりと見えてくる。


※「いもたき」という料理の成り立ちや文化的背景については、【前編】「いもたきに宿る記憶 ― 火と水と人が交わる郷土の味」で綴っています。ぜひあわせてご覧ください。


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