
冒頭キャッチ・リード文:
【第50記事:郷土の味を辿る《後編》】
郷土料理は、誰かのために作るもの──そう思っていた。
けれど、現代の暮らしの中で「一人の時間に寄り添ういもたき」もまた、郷土料理のかたちではないか?
本稿では、新たなスタイルと視点から、“ひとり鍋”の魅力と可能性を考えます。

「いもたき」は誰のもの?
「郷土料理」と聞くと、
親戚が集まる席、大家族の夕餉、地域の催し──
どこか“みんなで食べるもの”というイメージがある。
けれど最近、私はひとりでいもたきを作ることが増えた。
食材は、冷凍の里芋と鶏肉。
カット野菜でもいい。だしパックも使う。
それでも、火にかけて、湯気が立ち上がり、
香りが部屋を満たしていくと、不思議と満たされるのだ。

現代の“火”と“水”と人の距離
昔はいもたきを川辺で囲んだ。
今はキッチンで一人、IHの鍋の前に立つ。
どちらも“火”と“水”があって、
そこに“人の手”が加わることで、
ただの素材が、料理になる。
そう考えると、場所が変わっても、規模が変わっても、
本質はなにも変わっていないのかもしれない。

一人鍋がもたらす「記憶との対話」
いもたきを作っていると、自然と“誰か”を思い出す。
母が芋の皮をむいていた後ろ姿。
祖母が出汁を味見していた湯気越しの横顔。
それを囲んでいた昔の笑い声。
一人で鍋をつつくその時間が、
“誰かと食べる”という行為を懐かしく思い出させてくれる。
そして、そこに今の私自身の生活が、静かに溶け込んでいく。

ミニマルでも豊かな「私だけのいもたき」
最近のお気に入りは、小鍋一つで作る“ひとりいもたき”。
具材は少なくていい。
洗い物も少ないし、冷蔵庫にあるもので十分だ。
- だし汁に鶏肉と里芋を入れて火を通す
- 残り物の油揚げやこんにゃくを加える
- 調味料は、しょうゆとみりんと少しの砂糖
- 仕上げに青ねぎを散らして、できあがり
味は素朴。けれど、心に染みる。

これもまた、郷土料理のかたち
郷土料理は“人の手”と“人の記憶”によって継がれるもの。
誰かと囲んでもいいし、
一人で味わってもいい。
大切なのは、そこに「誰かのために火を入れようとした気持ち」があること。
それがあれば、
どこで、誰が、どんな形で食べたって、
それは立派な郷土料理なのだ。

おわりに
かつての川辺のいもたきと、
今の一人鍋が、私の中で静かにつながる。
味はちがっても、気持ちは続いている。
そして今日も、湯気の向こうに、誰かの記憶がぼんやりと見えてくる。
※「いもたき」という料理の成り立ちや文化的背景については、【前編】「いもたきに宿る記憶 ― 火と水と人が交わる郷土の味」で綴っています。ぜひあわせてご覧ください。
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