かたちは変われど、郷土の味は生きている ― 日向飯・いもたき・さつま飯に見る“記憶の継承”

味覚とエッセイ

はじめに

郷土料理が消えてしまう――そんな言葉を聞くたびに、少し違和感を覚えることがあります。
確かに、昔ながらの手間のかかる料理を家庭で毎日作ることは難しくなりました。
しかし私は思うのです。「郷土料理は、かたちを変えながら今も息づいている」と。

それは、季節のうつろいとともに思い出す味。イベントでふるまわれる懐かしい香り。
忙しない日常のなかでも、ふと手に取ってしまうお惣菜の中に、そっと息をひそめているのです。


日向飯が伝える、“まかない”の記憶

日向飯はもともと、九州方面へ出向いた行商人が、現地の味わいを地元の手に入る食材で代用した「まかない飯」のような料理でした。
しかし、こうした「応用力」にこそ、生活に根差した郷土料理の本質があります。

それが現代ではどうでしょうか?
養殖技術の進歩、流通の効率化、冷凍技術の発達――これらの変化によって、新鮮な魚介が家庭に手軽に届くようになりました。
さらに、フレンチやイタリアンの調理法が日常の食卓に取り入れられ、オリーブオイルやハーブ、マリネなど新しい味覚が好まれるようになりました。

その影響もあって、日向飯のような素朴な味は“古風”と思われがちですが、決して忘れ去られたわけではありません。
海鮮丼や漬けマグロのアレンジとして、見た目を変えて生き続けているのです。


コンビニ飯の影響と、手間の感覚の変化

忘れてはならないのが、コンビニ飯の存在です。
24時間営業という利便性、豊富なオリジナル商品、長期保存できる冷蔵・冷凍食品の進化――
これらが「郷土料理の手間暇」という概念を、私たちの意識から遠ざけました。

いまでは「時間をかけて作る料理」というだけで、“特別すぎる存在”として扱われる傾向すらあります。
けれど、便利になった暮らしのなかでさえ、人はなぜか“あの味”を求めたくなる瞬間があります。


それでも残る、「さつま飯」や「いもたき」

たとえば、秋になると河原に集まり、鍋を囲む「いもたき」。
夏の終わりに冷たい麦茶とともに味わう「さつま飯」。
これらは今もなお、地域行事や家庭の味として親しまれています。

スーパーでは「いもたき用セット」が販売され、レトルトパウチで「さつま飯の素」も手に入る時代です。
形こそ変わっても、“季節とともに帰ってくる料理”として、しっかりと記憶に根づいているのです。


郷土料理の“これから”とは

行商人という職業がネット通販に取って代わられたように、
郷土料理も「かたち」を柔軟に変えながら、未来へと進んでいくのだと思います。

レシピそのものは忘れられても、その料理がもたらしてくれる**“懐かしさ”“温かさ”“誰かと囲む時間”**といった記憶の核は、残っていく。
そしてその核をもとにした“新しい郷土料理”が、また次の時代に生まれていくはずです。


おわりに

郷土料理は、文化であり、記憶であり、対話です。
それを守ることは、同じ味を守ることではありません。
**「もう一度、作ってみようかな」**と思うきっかけが、どこかにあること。
その気持ちが、郷土の味を次の世代へとつないでいくのです。


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