渡り鳥とは
季節の変わり目など、こうした一定の居住環境を持たない鳥のことを呼ぶのですが、
彼らには生まれたときからの記憶とか習性のようなものが備わっているのでしょう。
他の国または島で一定時期を過ごすとまた移動をする。人間で言うところの人事異動に伴う転勤などの生活スタイルのようなものなのかもしれません。
しかしながら、こういった環境に関連性のない目的で世の中を渡り歩く鳥もいたようです。
銀幕などで一世を風靡させた「渡り鳥シリーズ」と呼ばれる人物です。
当時は娯楽というものが、活動写真=動く写真として人々の娯楽性を高めていたようですが、
このスターと呼ばれる人に被(かぶ)れる阿呆な鳥もいたのです。
かくゆう私の親父の存在です。
ギターは持たずとも、憧れは旅を呼ぶ

この鳥はギターを持たない(弾けない)渡り鳥でして、
出で立ちはこの鳥に憧れを抱いてフラフラと他県に移り住んでいたようですが、
なぜかしら様にならないセンスの持ち主でもあったようです。
大阪→愛知など、比較的大人口のある地方都市には身を寄せておりましたが、
結局のところ地元に戻る本能が働いてこの地に舞い戻って来たようです。
その間、何をしていたのかは定かではありませんが、
おそらくは銀幕の鳥に憧れて、様々な醜態を繰り返していたのでしょう。
安っぽさを愛する遺伝子
なぜか私には、この鳥の持つDNAが私の中にも受け継がれていることが、
疎ましいと思えるときがたびたびありました。
若かりし頃の思い出を武勇伝のごとく話すさま──
このインチキ臭い話に付き合わされたこともありますが、
なぜか笑いながら、聞き入ってしまったのは、
やはり私の中にもその血が流れているからでしょうか。
他県での駄菓子の思い出を語ることで、
私のこの安っぽさ好きはこの鳥の持つ遺伝子が受け継がれている証拠でもあります。
渡らずとも、晒すという旅

まあ、私も他県に移り住む元気はありませんが、
このように変わった形で地方から生き恥をさらす記事を書いていることは否めません。
ギターは持たないが、キーボードは叩ける。
渡り鳥にはなれなかったけれど、
私は私なりの形で、旅を続けているのかもしれません。
あとがきのようなもの
地方の片隅から、こんな“父譲りの渡り癖”をこっそり放っている私ですが、
もし似たような親父に覚えがある方、
あるいは「うちの親も似たようなこと言ってたなぁ…」と思った方がいたら、
コメントでもそっと教えてください。
今日もまた、誰かの記憶の空を渡る鳥のように、
この言葉がどこかに届けばいいなと願っています。
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記事は随時追加予定。
次回は「最後の晩餐」か、「豚太郎」について書くかもしれません(気分次第)。
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