新しく家族になった子猫「天」。
まだ小さなその姿に似合わず、妙に落ち着いた風格と大物感を漂わせています。
今回は、そんな天との暮らしが始まったばかりのある午後の出来事を、少し綴ってみます。
天が我が家にやってきて、今日で2日目になります。
周りには大きな猫たちがわらわらと居並ぶ中、怯える様子もなく、その場をすんなりやり過ごす様子には、なぜかしら妙な“肝の据わり”を感じてしまいます。
どこか、ただの子猫ではないような。
たとえるなら、大名の家に預けられた若君のような──
そんな不思議な雰囲気を持っています。
さて、これは夜勤明けの明け方のこと。
玄関を開けて帰宅すると、ケージの中でもぞもぞ動く“何か”が視界の端をかすめました。
よく見ると、シースルーの手提げ袋に入れられた天が、ケージ内でゴソゴソと身じろぎしています。
……いや、なぜ手提げに?
状況が飲み込めぬまま、とりあえずそのままにしておき、日中を過ごしました。
この家で起こることには、だいたい理由があるようで、ないようで、あるのです。
夕方、同居人が帰宅したので尋ねてみました。
「天が手提げに入ってたんだけど?」
すると、同居人いわく──
「ケージの隙間から抜け出さないように対策しただけだよ」と。
……なるほど、そういうことですか。
が、水も餌もそれでは飲めないし食べられないだろうと抗議すると、
「まだ小さいから大丈夫」などと言っては、はぐらかされる始末。
これは……なにかあるな、と。
さらに話を掘り下げると、実はスーパーの店員さんが、
いまだに「天を引き取りたい」と未練がましく思案しているとのこと。
きっと、あの子に何かしらの思い入れがあったのでしょう。
名残惜しさ、責任感、後悔、あるいは少しの寂しさ。
とはいえ、天は今、私たちの家の子です。
手提げに入れられていたその姿を思い出しながら、
「質流れ品の買い戻しの話を今さらされてもなぁ……」と、
ひとり午後に物思いにふけったのでした。
猫は、誰が飼い主で、どこが家かなど、案外気にしていないのかもしれません。
それでも、天はもうこちらをまっすぐ見上げてきます。
シースルーの中からでも、変わらずに。
コメント