家出と豚太郎 〜逃避と塩スープの狭間で〜

魅+夜話(みたすやわ) まちの中華夜話

高校生のある日のことでした。帰宅途中、玄関先で見慣れた「野郎」の顔が、当たり前のように居座っていたのです。


どうしてお前が、ここにいる?

「なぜ、お前がここにいる?」

問い詰めると、ヤツはこう言いました。

「原付の免許を取りに来たんだけど、泊まるとこなくて…。お前の母ちゃんに相談したら『泊まればいい』って言われたから来た。」

私は耳を疑いました。
こいつの図々しさには昔からうんざりしていました。

要領が悪いくせに努力もせず、困ったときだけ人にすり寄ってくる――そんな思考回路が、どうにも肌に合わなかったのです。

けれど、母親同士が妙に仲が良いせいで、こういう「勝手な宿泊」が頻繁に起こっていたのでした。


そして、私は家を出た

その日からしばらく、私は帰宅せず町を彷徨い歩くようになりました。

一方で野郎はといえば、教習所の講習本も開かず、反省もせずに試験に落ち続け、なぜか何度も我が家に泊まりに来る。

あの図太さ、どこから来るのか。

そのうち、私の精神はすり減っていき、家に居る意味も、帰る意味もわからなくなっていました。


豚太郎に誘われても

ある夜、家族と野郎が「みんなで豚太郎に行こう」と盛り上がり始めました。

当然、私は拒否反応。
そんな飯、食えるか。バックレてまた夜の町に舞い戻るしかありませんでした。

結局、その晩餐は私抜きで行われたようですが、それ以降も野郎は1週間以上、我が物顔で我が家を拠点に通い続けていたのです。

やっと免許が取れたのは、ずっと後のことでした。


豚太郎を恨んでいたわけじゃない

正直、豚が悪いわけじゃない。

でも、あの頃の私には、豚太郎の赤いネオンサインが、
どこかで野郎と一緒になって私の逃避行を嘲笑っているように見えたのです。

そんな被害妄想すら浮かぶほど、あの数週間は精神的にキツかった。
それ以来しばらくの間、私は「豚」の文字を見るだけで気分が沈むようになってしまいました。

思春期の思い出なんて、そういうものでしょう。
ただし、私のそれは、豚太郎と野郎のせいで、ちょっとだけ“塩っ辛く”仕上がったのでした。


まとめ:思い出の味は、いつも心とリンクしている

青春時代の出来事って、食べ物やお店の記憶と強く結びつくことがありますよね。

あなたにとっての「豚太郎」は、どんな記憶でしょうか?
私にとっては、ひどく青くて、少ししょっぱい逃避行の象徴でした。

それでも、今となっては全部、笑い話です。


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