母恵夢とわたしの季節

味覚とエッセイ

ふと、あの袋を見かけると、少しだけ足を止めたくなる。
「母恵夢」。白あんをしっとり包んだ、やさしい焼き菓子。
愛媛に住んでいる人なら、きっと一度は誰かから手渡されたことがあると思う。

スーパーの入り口近く。季節の味が出ると、少し目立つ場所に並べられている。
今日の母恵夢はコーヒー牛乳味。パッケージの牛のイラストがどこか懐かしくて、少し笑ってしまった。

母が好んだ味、仏壇に添える日

うちの母が、このお菓子を好きだった。
「冷やした方が美味しいけんね」と、夏になると必ず冷蔵庫に入れていた。
お茶の時間に一つずつ包みを開けながら、おしゃべりするのが習慣だった。

母がいなくなってからは、盆や正月のたびに、母恵夢を仏壇に供えるようになった。
豪華なものではないけれど、母の“らしさ”が詰まった一つ。
そういう供え物が、いちばん心にしみるのかもしれない。

ポケットに忍ばせる、地域のやさしさ

ベビー母恵夢は、手のひらにちょうど収まるサイズ。
子どもにも、知人にも、気軽に一つ手渡せる。
ポケットにそっと入れておいて、ふとしたときに「これ、どうぞ」と渡す。
そんなやさしさが、このお菓子には似合っている気がする。

今では袋入りの少量パックも出て、日常のなかに溶け込む存在になった。
わざわざじゃなくて、「ちょっとだけ」がちょうどいい。

地域の記憶として、静かに残るもの

どこかの有名な名物というよりも、
誰かの家で静かにお茶とともに出されるような、
そんな地元のお菓子であり続けているのが、母恵夢のいいところ。

今も、あの甘くてやわらかな味が、季節のなかでぽつりと顔を出す。
それを見つけるたびに、母の声がふっと頭をよぎる。

暮らしの中に、記憶の中に、そっと残る味。
それが母恵夢であり、わたしの地域のひとコマなのだと思う。

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