ある晩のことだった。
親父は、無言のまま車を豚太郎の駐車場へ滑り込ませた。
車内にはラジオの音もなく、エンジンのアイドリング音がぼんやり響いている。
突然、親父がダッシュボードから無造作に千円札を数枚引き抜き、私と兄に渡して言った。
「お前らだけで、飯食ってこい。」
唐突すぎて、何かの冗談かと思った。でも親父の目は笑っていなかった。
何か意味があるのか?怒らせたのか?試されてるのか?
答えの見えないまま、私たちは扉を開けて店内へ足を踏み入れた。
深夜のラーメン屋。
子どもだけで入るには、あまりに世界が大人すぎた。
厨房の奥で湯気が立ちのぼり、カウンター越しに店主と女将さんがこちらをチラと見た。
その目には、「どうしたんだこの子たち」という戸惑いがあったが、何も聞かず、静かにメニューを差し出してきた。
私たちはドギマギしながら指差し注文を終え、カウンター席に腰を下ろす。
なぜか出されたサービスのスープが、いつものように喉を通らない。
味がどうとかではない。
この空間に、私たちはまだ“属していない”という空気が張り詰めていた。

それでも、ラーメンはやってくる。
餃子も並べられ、テーブルの上はいつも通りの“ごちそう”だった。
ただ、それを口に運ぶ手は、少しだけ震えていた気がする。
無言のまま食べきり、店を出て、車へ戻ると――
親父は何事もなかったかのように「乗れ」とだけ言った。
車内はまた、エンジン音だけが響いていた。
そして、何も言わず家へ帰った。
その夜のことを、私は今でもよく思い出す。
あれはきっと、**親父なりの“ひとり立ちの儀式”**だったのだろう。
「刃牙道」でいうところの、親から子への無言の試練。
社会という荒野に向かって、自分の足で立つための“初めの一杯”。
それが、あの夜の豚だったのかもしれない。

あれはきっと、親父なりの「ひとり立ちの儀式」だったのだろう。 いや、そう思いたい。
……だとしても。
よりによって「豚」でやるか?
あのときの親父のセンスが、その程度だったという事実だけは、今でも少しだけモヤモヤする。 もう少しこう……なんか、儀式っぽいものを想像していたのかもしれない。
せめて神社とか、カツ丼とか、あっただろうに。
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