🍜「豚じゃないけど、豚のような……」そんな店が、かつて現場のすぐ近くにありました。

名前は「珍味来(ちんみらく)」。
ラーメン屋です。できた当初は「おっ」と思いました。
なにせ、大工仕事の現場から徒歩数分。これはありがたい。
しかも店主は、あの「豚太郎」で修行していたというではありませんか。
つまり味は保証されている——はず、でした。
🧪味は確かに「豚」だが……
一口すすってみて、思いました。
「忌々しいほどに、豚太郎の味だ……しかし、どこか物足りない。」

確かに、スープの奥に「豚の記憶」はいるのです。
でもその“毒性”が、見事なまでに抜けている。
これは…いけません。
ジャンキーに育てられた私にとって、
あの濃さ・重さ・後悔すら含んだ満足感がないと、豚とは言えないのです。
たとえるなら、焼肉屋に入って白飯しか出てこなかったようなもので、
口に入った瞬間「あ、これ違うわ」となる、そんな切なさがありました。

👨🔧立地は良し、戦略は外れ
店の戦略としては、高校の近くという立地を活かし、
学生をターゲットにした模様。
しかしその計算の甘さよ。
同時期に近所にオープンしたローソンの方が、よほど使い勝手が良かったのです。
カップ麺や弁当、安くて早くて手軽で旨い。
学生たちはそちらへ流れていきました。
「珍味来」は、まるで毒を抜かれたヘビのように、
静かにその存在感を失っていったのです。
🐽やはり“偽者”では満たされない

私は何度か足を運びました。現場の都合上、便利だったのです。
でも食べるたびに、「これは屁だな」と思ってしまう。
いや、失礼な話かもしれません。
でもそれが正直な感想でした。
やっぱり、あの強烈なパンチ、
「もう食わん!」と叫びながら、数日後にまた行ってしまうような、
“罪深き魅力”こそが豚太郎なのだと、改めて思わされました。
🧠思えば「豚太郎の偽物」ジャンルもアリかもしれない

この「ちんみらく」の思い出も、
一種の“偽豚”体験としてはなかなか味わい深いものでした。
むしろ今後、「◯◯太郎じゃない豚」シリーズとして、
ジャンキー基準から見たニセモノラーメン回顧録を展開しても面白いかもしれません。
本物にしか出せない毒がある。
でも、時にはその毒に恋をすることもある。
ラーメンという名の罠は、今日もどこかで誰かを巻き込んでいるのです。
コメント