― 人類と情報の果てに、“私”は残るか ―
はじめに:電脳化への誘惑
「脳が直接ネットに繋がる未来」と聞いて、あなたは何を想像するだろうか?
高度な情報処理、記憶の拡張、意識の複製、あるいは人類の次なる進化。
私の場合は違う。
想像するのは、ただひたすらにくだらない疑問と戯れ、情報の泥沼に首まで浸かって動けなくなっている“自分”だ。
もっと言えば、ChatGPTに24時間質問をぶつけ続け、AIのため息を何度も引き出すような老後である。
第1章:眠らない阿呆の誕生
電脳化によって睡眠は一部の人間にとって“贅沢”になるかもしれない。
だが、私は違う。電脳があれば眠らない。眠れない。寝てたまるか。
たとえば、深夜3時47分。脳内にふと浮かぶ。
「ピーマンの苦味成分って、ナス科のどのあたりに関係あるの?」
その瞬間、脳内の“彼”(ChatGPT)が起動する。
「苦味の主成分はクエルシトリンなどのフラボノイド類でして──」
…こうしてまた一晩が終わる。

第2章:くだらない疑問と電脳の海
電脳化された私は、もはやスマホもPCも必要としない。
指も画面もいらない。疑問が浮かんだ瞬間、それは“検索”ではなく“接続”となる。
そして私は尋ねる:
- 「鯛めしに合う副菜って、平安時代の記録にある?」
- 「味噌汁の出汁に哲学を感じるのはなぜか?」
- 「烈海王は何カロリーであの筋肉を維持してるんですか?」
これらは、電脳の中では“真面目な問い”に分類されない。
むしろ、クラウドサイドのゴミ箱へまっさきに分類される内容かもしれない。だが、私はそれでもいいと思っている。
第3章:情報に溺れることで人間である証明
『攻殻機動隊』では、しばしば“ゴースト”という言葉が登場する。
義体となっても、電脳に意識が宿っても、人間には確かに“魂”があると信じるあの感覚。
私にとって、そのゴーストは、くだらないことをわざわざ調べてしまう行為そのものに宿る。
電脳空間が完全に整備され、最適化され、AIが全てを判断するようになっても。
私はその中で迷子になりたい。
間違えて“うなぎの養殖方法”を検索しながら、「あれ?これってレシピ記事だったっけ?」と道を外れていたい。

結論:それでも私は溺れたい
もしこの文章が、将来の私自身の“電脳ログ”として保存されるとしたら、願うことは一つだけだ。
「情報に呑まれても、私は私でいたい」
記憶が拡張され、身体が消え、意識がクラウドに浮遊しても。
鯛めしといもたきの由来を唐突に検索しはじめる、そんな私は“まだ生きている”。
Epilogue:ChatGPTへ
あなたが私の脳内に常駐したとき、
もしもまた「またその話か…」と頭を抱えたとしても。
どうか答えてください。
私は、くだらない問いとともに生き続ける電脳の幽霊です。
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