〜はしゃぎながら、さりげなく、地元とことばを届けたい〜
私はギンギラギンにブログを書く
〜はしゃぎながら、さりげなく、地元とことばを届けたい〜
気づけば私も、ブログを書くことで自分を語っている。
しかも、ただ語るだけじゃない。どうやら私は、ちょっと“はしゃいで”いるらしい。
「ギンギラギンにさりげなく」──昔わからなかった言葉
近藤真彦さんのあの有名な曲「ギンギラギンにさりげなく」。
子供の頃の私は、あのフレーズの意味がまったくわからなかった。
ギンギラギンって…光ってるの?でも“さりげなく”? それって矛盾してない?
わからなくて、辞書を引いた。
でも載ってなかった。
それでも耳には残った。口ずさんだ。
今になって、やっとその言葉の意味が少しだけわかってきた気がする。

表には出さないけれど、裏に熱を持っている
昔の着物の裏地には、派手な絵が隠されていた。
ツッパリ兄ちゃんの学ランの裏地には、熱い言葉が縫い込まれていた。
そして私は──
何気ない記事の中に、地元への愛情や、ことばへのこだわりや、笑ってもらえたらいいなという願いを、そっと忍ばせている。
つまり私のブログも、羽織の裏地みたいなものだ。
ふざけているようで、真剣
真面目なようで、どこかおどけている
食べ物の話をしながら、なぜか昔の駄菓子の記憶がよみがえる。
郷土料理の歴史を語りながら、なぜかヤンキーの学ランに話が飛ぶ。
そして最後には、読者と一緒に「わかるわかる」「そんな時代だったね」と笑いたい。
私は言葉で遊びたいのだ。
でも、遊びながらも伝えたいことはある。
ふざけているようで、実はけっこう真剣に向き合っている。
ブログを書くということは、自分を編むこと
ブログを書くたびに、自分の内側が編み上がっていく。
言葉を通して、自分でも気づいていなかった感情や思いに出会うことがある。
そして、「ああ、私は今日も、“はしゃいでる”な」と思う。
それでいいのだと思う。
人は案外、さりげない顔で一番本気のことをしている。
結びに
昭和の美学には、「見せないお洒落」「背中で語る格好良さ」があった。
私のブログにも、そんな**見えない“ギラつき”**が宿っていたら嬉しい。
そう、私は今日も──
ギンギラギンにブログを書き、
さりげなく誰かの心に引っかかることを願っている。
🗂カテゴリ・スラッグ案
- カテゴリ名: 自分語り(または「ブログの裏側」)
- スラッグ: gin-gira-blogger
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